原⽥先⽣と出会って⼈⽣が上を向いた話【宮嶋 優彩】

⼼のコップを上に向ける。

私の⼈⽣が変わった⾔葉です。
⼼のコップを下に向けてしまうと、いいことがこぼれてしまうから、上を向けていいことを取り⼊れていこうという意味の⾔葉だと私は思っています。

農家の⼀⼈娘に⽣まれた私は、唯⼀の内孫で祖⽗⺟からも両親からも、たくさんの⽅々にすごく可愛がられて育ちました。
⼩学⽣や中学⽣の頃は、同級⽣の⼦たちに兄弟のいる⻑男⻑⼥が多くて、周りから羨ましがられることも多く感じ、⼀⼈でいることが多かったです。
中学1年⽣の夏休み開けから、⼀⼈でいることが嫌になり、学校が楽しくない、勉強したくないと、学校に⾏こうとしましたが、⾏けなくなりした。
私が学校に⾏かないことにより、⺟と⽗の喧嘩が多くなり、家族がばらばらになりかけることもありました。
ですが、⺟が、私のことを理解してくれて、学校に⾏かないならと、たくさんの挑戦、出会い、経験をさせてくれました。
⽗も何も⾔わず私のことを⽀えてくれて、仕事を⼿伝いに来ないかと、畑の仕事を経験させてくれました。

中学2年⽣の秋、野球が⼤好きな⺟は、⼤⾕翔平選⼿に出会い、その流れから、原⽥メソッドに出会いました。
⺟は、学んだ事をすぐに実践して、どんどん変わっていきました。
その頃の私は、褒められても素直に喜べませんでしたが、⺟が、どんどん変わっていく姿を⾒て、少しだけ、原⽥メソッドに興味を持ち始めました。
そして、⺟から、今、私の通っているN⾼等学校の存在を知ったのもこの時期です。

中学3年⽣の夏、N⾼等学校の説明会に⾏きました。
副校⻑先⽣との出会いや、N⾼の素晴らしさを知り、私も⾏きたいと思いましたが、地元の⾼校じゃないから、⽗に反対されるのではと思いました。
⽗は、優彩の⾏きたいところに⾏きなさいと⾔ってくれました。
秋には、⼊学が決まり、親友に喜んでもらったことがすごく⼼に残っています。

中学三年⽣の秋、⺟に原⽥メソッドの2次試験の動画を撮るから、⼿伝いに来てほしいといわれました。
いつもなら、断るか、⾏動をしない私が、⾏くといって、⼿伝いをすることになりました。
興味があったからこそ、⾏動できたんだと思います。
⼿伝いをするというか、講義を受けるという感じで、原⽥メソッドとは何か教えてもらい、私も変われるんじゃないか、学んでみたいと思いました。
認定パートナーの試験に合格した⺟に教えてもらう予定でしたが、東京で原⽥先⽣の下で勉強してみないかといわれ、やってみたいと思いました。

過去は過去で素晴らしい経験をさせていただいたのですが、原⽥メソッドを受けたときも素晴らしい経験や出会いをさせていただきました。
私にとって原⽥メソッドは、⾃分から初めて興味を持ったことで、東京に⾏って、勉強できることが、すごく楽しみでした。
中学三年⽣の卒業式のあと、第⼀回⽬の講座で、冒頭でもお伝えした、『⼼のコップを上に向ける。』に出会います。
講座が、始まる前に原⽥先⽣とお話させていただきました。
N⾼等学校に通いますと⾔ったとき、⾃分のことかのように喜んでいただいたこと、今でも鮮明に覚えています。
講座が始まったときもN ⾼の話、私の存在を話していただき、休憩時間、講座後に話しかけてくれる⽅々がたくさんいて、きっとこのときから⾃分は変わり始めたのだなと思います。
とても印象に残った⼀回⽬の講座後、私は『⼼のコップを上に向ける。』を意識しはじめ、いつの間にか、⾃分の気持ちも明るくなり、それが、表情、声、考え、全てに出てきて、⼆回⽬の講座以降には、笑顔になることがすごく多くなりました。
講座の⽇は、朝は早く起きて、会場で並んで、最前列に座り、間近で講座を受け、たくさんの⽅々との交流もさせていただきました。
お隣に座る⽅々、話しかけてくださる⽅々、皆さんが、とてもパワーがあり、印象に残る⽅ばかりでした。
たくさんの⽅々との交流をすることで、⽬上の⽅との接し⽅を学ばせていただき、ストロークも素直に受け取れる⼈間になり、⺟も、すごく驚いていました。
⼆回⽬の講座の後も、どんどん変わっていき、原⽥先⽣の存在が、仲間の存在が、⾃分をキラキラさせていきました。
原⽥先⽣からのプラチナストロークを受けて、この⽅に出会えて本当によかった、もっと私の存在を知っていただきたい、と思い、私は、⼈⽣で初めて、⼈を尊敬することを学びました。

本当に素晴らしい⽅々と出会い、学ばせていただいた、『隆⼼塾』。
隆⼼塾のいいところは、インプットもでき、アウトプットもできる、たくさんの学びがあるところだと思います。
これからの世界は、アウトプットが⼤事だと、⽇々感じています。
そのアウトプットができる場が⾝近にあり、同じ事を学んでいるからこそ、⼀⼈⼀⼈の考えが聞ける場だなと思います。
グループワーク、考えが⾔える場、講演ができる場、出会える場、そうやって共有できる場があることがありがたいなと感じます。

私は、原⽥メソッドに出会えて、本当に変わりました。
そして、今もどんどん進化しています。
興味から始まり、たくさんの学び、たくさんのパワーをいただいたからこそ、これからは、それを⼦供たちに伝えていく⼈間になりたいと思っています。
私の⽣まれてきた意味は、これからの未来、たくさんの⼦供たちの育成、この経験を、パワーを、学びを伝えていく側だと思っています。
この経験を⽣かして、たくさんの⼦供たちの⽬標達成の⼿助けをするのが、私の最終的な⽬標です。
⼈間⼀⼈⼀⼈、たくさんの才能を持って⽣まれ、その才能を引き出し、開花させるお⼿伝いができる、それは私にとってすごいことだと思います。
そして、今何ができるのかを追求して、⾃分の⽬標を、夢をたくさん叶えて、どんどん成⻑していこうと思います。
私には、今挑戦していることがあります。
それは、原⽥メソッドとすごく似ていて、でも、⼀筋縄ではいかない事だと思います。
そして、そこでもたくさんの出会いがあり、本当に私の周りには、素晴らしい⽅々が集まってくると感じています。
私の世界には、感謝と笑顔が絶えないなと、⽇々実感しています。
この挑戦は、原⽥メソッドと出会わない限り、出会えなかった存在です。
時々落ちることもありますが、『⼈⽣右肩上がり』という原⽥先⽣の⾔葉、本当にその通りだと思います。⼈⽣が上を向いて、世界が、⼼が、全てがキラキラして、私は、この世界に⽣まれてきてよかったなと思います。
⼈⽣、何があるかわからないですが、これからこのキラキラした世界で、⽣きていけることがうれしいし、楽しみだなと思っています。

私は、原⽥メソッドに出会えたこと。
たくさんの出会いがあったこと。
⼈⽣が変わったこと、全てに感謝しています。
特に、⺟のもとに⽣まれてきたこと、⺟のおかげで原⽥メソッドに出会えたこと、⺟のおかげで東京に通い、原⽥先⽣に会えたこと、感謝しても仕切れません。
⺟の存在が、落ちこぼれていた私の⼿を引っ張ってくれました。
原⽥先⽣の存在が、家族の形を取り戻してくれました。
私や⺟に、ストロークをくれたからこそ、家族が笑顔になりました。
今、私たち家族はすごく仲良しです。⽗と⺟の関係が戻り、⺟と私が仲良くなり、⽗と私の共通点ができ、今では、幸せいっぱいの家族です。
そんな家族になれたのは、たくさん声をかけてくださった、原⽥先⽣の存在です。
ストロークの存在です。
本当にありがとうございます。
認定パートナーの資格をいただいたのは、⾼校⼀年⽣の時。
私は、今、⾼校三年⽣です。次の進学先は、技術が学べる農業の学校を受験します。

⼼のコップを上に向ける。
原⽥メソッドではよく使いますが、この⾔葉の素晴らしさを、意識するだけで、どんどん変わります。
たくさんの出会いがあります。
この⾔葉をこれからも⼼に⼊れて、⽇々を過ごそうと思います。

ここまで読んでくださりありがとうございました。

原⽥メソッド認定パートナー 宮嶋 優彩