現在
2020年
「こんにちは!○○ベーカリーのパン焼き人、パン助です!」
こんな書き出しで始まります、私が発酵、いや発行するメルマガ。
書き始めてから、もうすぐ1年半が経とうとしております。
申し遅れましたが、わたくし千葉県在住、50歳、こう見えてもパン屋歴25年、れっきとした⁉パン職人の昆光一郎と申します。
今日は、なぜパン屋のわたしが、原田メソッドを実践し、今では自分のコミュニティを立ち上げ、仲間を増やそうと奔走しているかを、お話させていただけたらと思います。しばらくお付き合いのほど、よろしくお願いします。
過去
25年前(1996年)パン屋に転職
「こらっ!、何度同じ失敗をしたら、気が済むんだ!」と、
激怒した親方が、私の目の前で、窯からだしたばかりの焦げ臭いあんぱんを、ゴミ箱に放り込みました。
今、思い出しても、身がすくんでしまう悪夢のような光景、、、
これは、パン屋に転身して2年目ぐらいの状況です。
学卒で厨房機器の販売会社営業として就職したものの、実力ではいっこうに売れず、後輩からは下に見られ、思い悩む日々を2年半過ごし、もう限界だとばかり、逃げだすように最初の仕事を投げ出したのが、26歳の冬でした。
たまたま昼食に入った食堂で、目についた新聞の求人広告に載っていたベーカリーチェーンに電話して、翌日、仕事をさぼって説明会に参加しました。自分にしては、ずいぶんと思い切った行動に出ましたが、相当切羽つまっていたのも確かでした。説明会後、会場は即席の面接会場に早変わり。今思えば、パン屋側も、求人に困っていたのでしょうね。自分もここで決めないと、また、憂鬱な営業をやるしかない状態だったので、必死のパッチ。もう、それこそ、会場にいた誰よりも、猛アピール。この仕事は自分のためにある!ぐらいの勢いでした。いつもはうだつの上がらない営業マンが、自分でも信じられないほど、今日はトップ争いをする営業マンと化しているではないですか!
おかげで、運よく面接を突破。3か月様子を見て、見込みがありそうだったら、社員採用という条件で、最初はバイトとして働きはじめました。本当に勢いだけでした。これで営業をやめても仕事がある、そんな安心感さえ抱きました。
自分の中で、何か閉じ込めていた想いが弾けた、社会人3年目のことです。
パン屋に入った数か月は、何もかも新鮮で、日々、新たなことを覚える嬉しさに溢れていたと思います。早朝から日が暮れるまで、身体は確かにきつかったと思います。でも、営業職に比べたら、精神的に楽で、充実した日々でした。
それが、いつしか仕事にも慣れてきたパン屋2年目ごろから、たまに寝坊したり、集中力が散漫だったりして、仕事のミスを繰り返すようになり、親方からのきつい鉄槌を受けたわけです。慣れとは恐ろしいもので、失敗しても、そこから学ぼうとしなくなっていったのです。また、営業のころと同じような、悪循環の繰り返し。人間関係も荒んでいき、最終的には通勤途中の車で自爆事故を起こし、始めのパン屋をやめるはめになっていました。30歳のころです。
20年前(2000年)その後
幸い、運がよくケガは軽く、仕事は出来たので、違うパン屋に採用してもらえました。そこでも、最初は頑張りました。比較的に小さい店だったので、誰かが辞めたりすると残った従業員にしわ寄せがいきます。店長は仕事が早く、きれい。一方で、自分はまだまだ駆け出し、ミスはするは、ロスは出すはで、迷惑のかけっぱなし、おまけに週一回の休みも削られてしまうこともざらで、職場は殺伐としていきます。罵声が飛ぶこともありました。精神的に追い詰められて、職場から逃げ出し、連れ戻されることもあったりして、病んでしまい、精神科を受診したら?と言われて、通ったこともありました。発作がでたときのとん服薬ももっていました。パン屋になりたてのころは、あんなに楽しかったのに、今はどうしてこんな状況なのだろう?と思い悩む日々。
そんな時に知り合いのパン屋の先輩から、新たな店で、独立を視野に入れながら、雇われ店長として、やってみないか?と誘っていただきました。願ってもないお話だったので、渡りに船とばかり、お引き受けしました。このときも、現状から逃げ出したい気持ちも強かったと思います。それでも独立という言葉は、自分にとってはとても魅力的に映りました。パン屋に勤めてから、10年の月日が経っていました。
13年前(2007年)転機と最大の挫折
ご縁で新たな職場に迎えていただき、ある程度権限のある、店長というポジションをいただきました。
店長というとご想像のとおりです。店の売り上げ管理、人のシフト管理、スーパーの中の店だったので、店長同士の会議、新製品の研修、とても忙しく、充実した日々を送っていました。
売り上げも上がり、なんとか面目躍如、ただ気がかりは人件費を使いすぎ、利益薄かったことと、またもや人間関係。影のリーダーだった、昔から仕切っていたパートリーダーさんとの関係。
1年を過ぎたころ、親会社から、「そろそろどうだ、店舗を貸すから、オーナーとして独立してやってみないか?」と打診を受けました。最初はそういう条件でお受けした話でしたが、自分の中では今の雇われならなんとか店を回せるが、引き受けるのは、「とんでもございません」状態でした。日々の業務をこなすのが精一杯で、人件費を浮かすために、バイトさんを休ませ、自分が休み返上で回していました。こんな生活は、長くはもたず、パートリーダーとも、意見があわず、店に店長が2人いるような状況になっていきました。独立どころではありません。自分は、これまで、営業のころから、人間関係で失敗を重ねてきたのは自覚していましたが、根本解決をしていませんでした。それがここでもほころび始め、気が付いた時には、店のメンバーからの信頼を失っていたのです。みんな、パートリーダーの肩を持つようになってしまい、だれも本心では私についてきてくれなくなっていきました。こうなってしまうと、四面楚歌。ある事件がおきて、オーナーからの、「トップを降りてくれ」との、クビ宣告。今、思い起こしても、顔面蒼白になります。相当なショック。半年立ち直れませんでした。ちょうど、40歳の時でした。その後、パン屋以外の道も考えましたが、やっぱり、自分を救ってくれたパンの道、好きなんでしょうね、性に合うというか。半年後、なんとかパン屋で拾ってもらいました。
この後、学んだことが、真のリーダー論。自分に足りないものすべてです。自己啓発をはじめとして、マネジメントや潜在意識、メンタリング、さまざまな経営知識、会計知識。考えられる限り勉強しました。それでも繰り返してしまう、人間関係の失敗の数々。
3年前(2017年)タイミング・イズ・マネー
そんなときに、「目標達成は技術です」。という力強い発信力の、原田先生を知りました。これは、いままでのメソッドと一線を画している。今こそ、自分が学ぶべき、「タイミング・イズ・マネー」。「今やらずして、いつできる。」次はないぞ、そんな藁にも縋る思いでしがみつきました。無我夢中で全4回の講義をTSUTAYA1期で受けたのを今でも思い出します。オープンウインドウ64をはじめて開き、中々時間内で8マス埋められなかった悔しい想い。鳴り物入りではじめた日誌が3日坊主で終わってしまう。などなど、ルーティーンをこなせないで、自己嫌悪に陥ってしまうパターン。自分の悪いパターンが見える化。
認定パートナーを取得するために、どうするか?締め切りの9月末が近づき、共に学んだ、仲間に連絡。いろいろ話した結果、チームをつくり、全員が取得するまで、自分事として取り組むことにしました。ルールは、ただ1つ。「最後の最後まで、あきらめない。」
仲間のメンバーが課題提出までこぎつけると、嬉しさ反面、嫉み反面。でも、自分もにもできそうだ!と妙な根拠なき自信。
結果は、4人中、全員ゴール到達。11月に最初の人が合格すると、次々に認定取得。メンバーの目的意識がはっきりしていて、互いに応援し合う雰囲気がある。時には、本気の叱咤もあり、これが目指すべき理想のチームだ!と手ごたえを掴みました!パン屋の店長時代に原田メソッドに出会いたかった。
1年前(2019年)
原田メソッドの真価を発揮するチャンスがありました。
2019年の正月の隆心塾で、今年の目標をみなで発表し合っていたのですが、自分は「講演会を企画します!」と思いつきで、それこそ勢いで宣言しました。
きっかけは、年末に原田メソッドのチャレンジカップという企画があって参加していたのですが、その中で来年はみんなでなんかやりたいね、なんて話で盛り上がっていたのです。そんな流れで、まず、何もない状態から宣言したわけですが、そこからがさあ大変。具体的に動きはじめるまでに時間がかかりました。自分の中で、ああでもないこうでもないと、ぐるぐる悩んでしまったのですが、やりたかったのは、子どもたちに関わることのイベント。仲間が集まれそうだったのが、その年の4月ごろ。2か月悩んで、ようやく一つの行動ができました。それは、会場をおさえてしまうこと。会場をおさえてしまえば、やらざるを得なくなるからです。具体的中身を決めたり、協力者を募ったのはそれからでした。そこから、連絡しまくり、仲間にこんなことやるので力を貸して欲しいと頼み込み、内容を煮詰め、ミーティングをして、チラシをつくり、告知をして集客、登壇者4名と打ち合わせ、当日の朝まで、参加者を募りました。土壇場で参加してくれた方もいて、本当に嬉しかったのを今でも覚えています。講演会という名の「トークライブ」予想以上に盛り上がって、仲間と最高の時間を共有できました。
本当に感謝しかありませんでした。
今(2020年初冬)
折しも、コロナの新たな時代へと突入。
日々、目まぐるしく時代は動き、明日をも見えない真っただ中に、不安を禁じ得ない人々が多々いらっしゃいます。
「私たち認定パートナーとして、何か力になれることは?」
「自分、本当はどうしたい?」
そう、自問自答する日々がありました。
今、世界中でたくさんの方々の、「心のコップ」が下を向いてます。
ややもすると、立ち上がる気力さえ萎えてしまう状況です。
私が力になれること。
それは、コップをひとりでも上向きにさせてあげるお手伝い。
始めはすぐに戻ってしまうかもしれないけれど、何度も何度も、しつこいと言われるぐらいに、事あるごとに支えること。
私もこれまで、何度となく救いの手を差しのべてもらいました。
悩みを聞いてくれるパン屋の先輩がいました。
話を真剣に聞いて諭してくれる、営業時代の先輩がいました。
それでも、逃げだしてしまいたくなるときもありました。
その度に、助けてもらい今があります。
今日、聴いて下さったみなさんに、どこかで私の体験が役に立つかもしれません。
未来
50歳を迎え、最近これからの自分の使命は「恩送りだよな」、としみじみ思います。
でも、思っているだけではダメ。
思ったら、描いて、予測して、皆で即行動!
社会を変えるのは、いつも誰かの小さな一歩の積み重ねです。
ほんの少しの成功と成長体験です。
原田メソッドには、それをサポートする、理念づくり、心づくり、ツールが揃っています。
あとは、世界中の仲間と一緒に取り組むだけです。
さあ、今日も日誌を使って世界を変えていきましょう。
「もし、もう一度やり直せるなら」
「本当はどうしたい?」
あなたの「思いあれば、花開く」
まず、自分から動き出して「主体変容」、
みなさんの「一寸先は光です!」よーおっ・・・!!!
ご清聴ありがとうございました。
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私のブログ「熱血パン焼き人のハートに火をつけろ!」