私の人生を変えた原田隆史先生の言葉【松尾弘毅】

原田メソッドとの出会

 私が原田メソッドに出会ったのは、2018年の1月末、目標達成のスキルについての説明会に参加した時です。その説明会がきっかけとなり、認定パートナーの資格取得をする学びをスタートしました。早速、約2ヶ月半の期間をかけて東京に通い、5月20日認定パートナーの資格を取得することができました。

 私の資格取得の目的は、成功の技術を武器にして自分自身が成功しその技術を世の中に広めたい、そしてビジネスにしたいとの明確な目的がありました。学びの過程で、この成功の技術を身につければ、本当に自分の力になるものだとの直感がありました。そして、資格を取得した時にはしっかり学んだという達成感と、この資格を生かしてこれからの人生を充実させていこう、との気持ちを持っていました。

様々なつまずきの数々

 原田メソッドを活用することで、自分の人生がより良い方向へ急激に変化したかというとそうではありません。原田メソッドを学んだ多くの仲間からは、人生を変え新たな一歩を踏み出していった、夢を叶えたという投稿を目にしていました。それとは裏腹に、私自身原田メソッドに出会ってから大きく変わったかという質問に対して、自信を持って“YES“と言えるかどうかは疑問でした。

 実は、今までよりもつまずいてしまうことが多かったのです。原田メソッドの素晴らしさを伝えようとして自己投資をしてあらゆる準備をし、2019年7月、当初計画していた通りに起業をしました。ところがいざビジネスをスタートしてみたものの、全く思い描いた通りの結果になりませんでした。次々と短期間で結果を出してゆく仲間たちを応援していたものの、全く芽が出ない自分自身に焦りを感じながら過ごす日々が続きました。半年間頑張った末の結論は“廃業”でした。そんな中でメンタルはかつてないほどぼろぼろになり、自信を失いました。

 自分の気持をリセットしようとして再出発を図ろうとした矢先、仲間だと思っていた人から足引っ張りをされ裏切られるという経験も重なり、原田メソッドを学んでいるのにメンタルがこんなに弱ってしまうのか?要領がよい人間だけが得をしているのが世の中の酷な現実なんじゃないのか?そんな疑問が頭の中を渦巻いて消えず、睡眠障害に陥りました。そんな状況の中でも毎日欠かすことなく日誌を書いて、原田メソッドのグループの仲間との交流を欠かすことなく、日々やるべきことはやっていました。但し、自分は原田メソッドをやっても変われないのか?好転する事はあるのだろうか?その疑問はずっと消えませんでした。

好転のきっかけになったある出来事とは?

 それは今年の3月から4月のことでした。ちょうどコロナ禍でほとんどの国民がマスクをして外出を控えていた時期、私は失業中で自分の行く先を考えながら家の近所を散歩していたのです。近所で名だたる桜の名所を何箇所も見て廻りました。私が感動したのは、きれいな桜の花ではありませんでした。そこで私が目にしたのは、大きな桜の木の太い幹の途中からわずかに小枝が生えていて、その小枝の先端に咲いていた桜でした。

どんなつぼみでも花を咲かせる桜に、再生のヒントが隠されていたのです!

 コロナ禍で世の中が沈滞ムードになっている時でも関係なく、どんなつぼみでも例外なく花を咲かせ、私達たちに安らぎを与えてくれる桜の花の存在を目にした時、ハッと我に返りました。つぼみのままで花を咲かせない人生はあるのだろうか? 世の中には花を咲かせないで死んでいく多くの人がいて、中には自分の可能性を自ら閉ざして死を選ぶ人もいる。こんな世の中でいいのか、そして自分も今のままでいいのだろうか? そんな疑問が頭から離れませんでした。

 そしてこの時に桜を見たことが、私が一歩前に踏み出すきっかけになったのです。自分が就職活動をする中で、別の学びもスタートすることにしました。敢えて原田メソッドから離れてみることで何かに気づくきっかけがあるかもしれないと感じ、自分自身とより多くの対話を重ねました。その自分自身への問いかけに対する答えは、私の心の中をまるで読んでいたかのような原田先生から送られた一つのクレドにつながるものでした。

影響を受けた原田先生の言葉とは?

 私は、今年の4月から、私はYoutubeの「朝刊原田先生」で届けられるクレドを聞くようになりました。毎日届けられる言葉には、時々私の魂にすっと入ってくるクレドがあり、それを手帳に書き留めていました。ある日、その手帳を開くと真っ先に自分の目に飛び込んでくる言葉がありました。それは「遅くなっても待っておれ、それは必ず来る」です。

 このクレドにピンときたきっかけになった出来事は、今年の5月末に遡ります。私は、就職活動のためにあるサイトを検索していました。その求人情報の中に、何故かピンとくる募集があったのです。その直感を信じ、ページを見た直後、その会社に出向き面接をした結果、無事合格することができたのです。それは、たまたま私が約3年前に家の近くを散歩していて気になっていた場所で、ここで仕事ができたらいいなと思っていた学習塾でした。

 今振り返ってみると、私は何かをするたびに困難にぶつかり、そこから立ち直ってまた踏み出すという繰り返しをしてきていました。でも、つまずきの多い自分だからこそ生かせる場所が世の中にあることに気づいたのです。

 今、学習塾の講師として、様々な受験生に寄り添っています。何かを学ぶときに人一倍苦労して、それをその都度克服してきた私にとって、子供たちが悩む気持ちが痛いほどわかるのです。今、子どもたちと向き合う中で、わからなかったことがわかる喜びを与えることに全力で取り組むことで、日々自己肯定感が高まっているのを感じています。

 私はこの経験から、「心の奥底にしまい込んでいた夢はそれを手放さない限り、どんな形であれ自分の性格や状況にピッタリの形でいずれは体現される」ことを確信しました。私自身、まだ大きく輝ける成功の世界には到達できていません。ただ、教育に関わる仕事に就いていることで、原田メソッドで学んだ力を発揮できる場があることはとても幸せなことだと感じています。

 「遅くなっても待っておれ、それは必ず来る」という言葉は、間違いなく今の自分を支えています。私にとっての原田メソッドの思考術は、人生の心の伴侶のような存在かもしれません。24時間どんなときにでも休みなく働いてくれている存在です。もしこの精神的支柱がなかったら、多くの困難を乗り越えられず、様々な挑戦をすることはできなかったでしょうし、挫折から立ち直る勇気を与えてくれなかったことでしょう。

 私は原田メソッドの帳票をしっかり使いこなしていた時期もあれば、全く離れていた時期も経験しました。今、この学びを開始してから自分を振り返る中で、原田メソッドとの距離を置くことにより、改めて原田メソッドの価値がわかった気がします。

さらなる進化を目指して、自分が進むべき道

 もし、“もう一度自分の人生をやり直せるなら”という質問が与えられたら、皆さんは何と答えるでしょうか? 

 私は最近、自分自身との対話の中で、思考の癖を見つけました。私は自分が失敗をしてしまいそこから立ち直る自分自身のストーリーを美化して、凸凹の多い人生を肯定的に捉えている自分に気づきました。うまくいかなかった事実を素直に受け止め、そこから目を逸らさないこと、容易な道に逃げないことが失敗を減らす上で大切な事なのです。そして、落ち込みが少なく、淀みない安定した川の流れのようなぶれないメンタルを保ちつつ、結果を出し続けていける自分になれるようにすることに努力すべきなのです。そして、そのような自分になるための拠り所となっているのは、人間力を鍛える原田メソッドの学びであり、同じ学びをしている仲間の存在です。今、原点に立ち返ってもう一度深く原田メソッドの思考を学んでいこうと決めました。

 遅咲きの私がたどり着いた結論は、人の応援をすることを通じて自分にも他人にもそれぞれの「人生の華」が咲くように、自分なりの価値を世の中に提供していくことです。そして「成功すると決める」ことで、残りの人生を夢の実現に向けて邁進していきたいと思います。

p.s.
この記事は、隆心塾全国大会に向けて投稿した内容です。私は9人エントリーした中の一人です。私の詳細をもっと知りたいと思いましたか? 
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